2016年4月21日木曜日

【コラム】今日の一日は誰かが生きていたかった一日

いつもスマイリーの活動を応援いただきありがとうございます。
スマイリー代表の片木です。

今日は4月21日です。

2009年4月22日、抗がん剤ドキシルは卵巣がんに対して正式に承認されました。

2009年の今日、スマイリーでドキシルを心待ちにしていたある患者さんががん性腹膜炎で緊急入院しました。
その患者さんは、がんが消えることはないと覚悟しながらも、1日でも家族のそばにいたいと願っていました。
誰よりも私の活動を応援してくれて「片木さんいつもありがとう」って毎日のように声をかけてくれた
し、薬を待つ患者の声が届くならとマスコミの取材にも応じてくれました。

「片木さんは精一杯がんばってくれてる」ってすぐに凹む私に優しく声をかけてくれた彼女が、がん性腹膜炎で入院している病棟から電話をかけてきてたった1回だけ私に強く言った言葉があります。

「あと1日承認が早かったら私はもう少し生きられたかもしれない」

忘れもしません。渋谷・宮益坂の郵便局を出たところで電話を取ったこと、たくさんの人の流れに流されながら彼女と電話で話していてその言葉の重みに呆然とするしかなかったこと・・・。

2006年の秋、32歳の私がスマイリーの代表となり最初に取り組んだのがドキシルなどの早期承認を求める署名活動でした。
30歳にがんになり、それまではただの専業主婦。
薬の承認どころか卵巣がんの標準治療すらうろ覚えでしたが、たくさんの方々の支えで一つ一つ壁にぶつかりつつも走りながら学んでいきました。

決して手を抜いたつもりはありません。
それに、薬を承認する会議というのは数ヶ月ごとに開催されるわけで、なにかをしたら1日早くなるというものでもありません。

でも私がもっと力があったなら、私がもっと賢かったら、私がもっと努力したら・・・・・そしたら1つ前の会議にかかったんじゃないか、もっと早くドキシルを届けられたんじゃないのか・・・・彼女はやるだけのことはやったと思ってがん性腹膜炎になって治療が受けられない現実も受け入れられたんじゃないのか。そう思う自分もいます。

ドキシルが承認されたことをきっかけに、適応外医薬品に関して検討する場が必要だとして厚生労働省は今も続く「医療上の必要性の高い未承認薬・適応外薬検討会議」を立ち上げ多くの薬が承認に向かいました。
それを評価され、2010年には日経ウーマンオブザイヤーの注目の人に選んでいただきました。

でも、毎年4月21日になるとあの時の彼女の言葉が私に問いかけます。
「私たちの活動のすべては卵巣がん患者のために」を貫いてるかと。

いまも、がん対策基本法改正案が国会の会期末が迫る中で議論され、各党調整にはいってます。
そういう中で、自分にできることはなにか・・・・今日も自分に言い聞かせて頑張りたいです。

今日の一日は、誰かが生きていたかった一日なんだと忘れずに。